令和5年6月24日(土)、「大内田」にて第482回シーガルクラブを開催しました。
今回は幣クラブ会員 森川恒デザイン事務所 アートディレクター 森川 恒代表に「デザインワークを振り返って」のタイトルで講演をしていただきました。
長谷部光重税理士事務所のエントランスに入ると奥の正面に5点が一対のポスターが飾られています。これは秋田県の代表的な祭りや行事を描いた作品ですが、観る者はその迫力とデザイン性に目を奪われます。この作品は、平成3年度日本観光ポスターコンクール金賞を受賞していますが森川氏の制作によるものです。
森川氏は秋田市新屋の乾麺工場の4代目の跡継ぎとして生まれました。母親(旧姓 長谷部)がお稽古事に熱心な人であったため小学3年から油絵を習っていました。父親が家業を閉じ麵工業組合に従事したため跡を継がなくてもよくなりました。武蔵野美術大学卒業後、たまたま小麦粉の仕入れ先の商社が新たにデザイン会社を設立することになり、勧誘されたためその会社に10年間勤めることになったのです。独立したきっかけとなったのは、高校の同級生を通じ名刺作成の依頼があり、その依頼主が、高校時代の先輩で車で登校していると話題になっていた幣事務所所長の長谷部光重だったのです。10年の勤務を経て独り立ちを考えていたこともあって、昭和57年、株式会社バウハウスを幣所長と共同で立ち上げます。昭和58年に秋田駅前に西武デパートが進出することに決まっていました。西武から宣伝広告などの仕事を全面的に任されることになり、モデルは当時まだ仙台の東北学院大学の大学生であった現在女優として活躍されている鈴木京香さんを採用して折り込み広告等を制作する大きな仕事に取り組みます。
独立して間もない時期には幣所長を通じての仕事が多く、TKC東北会秋田県支部主催の秋期大学やTKC全国大会のMASフォーラムなどのパンフレットやリーフレットの制作のほか、秋田県内の著名な企業のロゴタイプ作成なども数々手掛けます。当時はパソコンの無い時代であり、すべて手作業で文字もカッターで切り取って作成していたそうで大変難儀な思いをしたそうです。
独立時2〜3人のスタッフも17〜18人になり、長年経営してきた会社を後継者である長男の方に会社を引き継ぎできたことが嬉しく思うと話します。現在は、「エリアなかいち」内で森川恒デザイン事務所として、モノ造りをしている人に展示場を無料提供し応援しています。また、秋田市からの依頼で各地に存在するコミセンの防災避難所に設置するピクトグラムの案内板のデザインに取り組んでいます。
最後に、森川氏が秋田高校在学時の校長、鈴木健次郎先生の教えの言葉が自分の人生の原点であり、大きな影響を与えているとして、先生が退任するときの挨拶の音声を流し、講演を終えられました。
その言葉は今も語り継がれています。
「汝、何のために そこにありや」
(記 栗谷侑志)
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